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わげんせ 久米島で琉球王府時代から続く文化に触れる旅

2020年06月17日

久米島取材

新しい文化がもたらされ、人々の生活様式が変わることで、
伝統文化が変わっていくのは、よくあること。

沖縄の信仰や祭祀にも、本土の文化が加味されたり、
新たなイベントとして海外からも観光客が押し寄せる祭になったり。

こうした変化は、琉球王府での統制を経た後の、
明治期の琉球処分が大きく関わったそうです。

しかし久米島では「ノロ」と呼ばれる神職女による伝統的な信仰祭祀が、
今もなお伝えられ、島民たちの手で守られています。

それが、旧暦の6月に行われる、「6月ウマチー(以下、ウマチー)」です。
ウマチーは稲の収穫儀礼。豊作への感謝と来期の豊作祈願の行事です。

旧暦の6月25日。
琉球王府時代から続く祭祀「ウマチー」は行われます。

この日のため、集落の神聖な場所「蔵下(グワッチャ)」には
「ローカーヤー」と呼ばれる小屋が作られます。
これは沖縄の特有の植物・マーニの葉で屋根を葺き、床にゴザを敷いた仮屋です。

ミチャブイをかぶり、ローカーヤーで神事を行うノロたち

鮮やかな衣装をまとったノロたちは、まず、島の信仰の中心地である
「君南風殿内(チンペードゥンチ)」で神事を行ってから、
集落の人々を引き連れこの仮屋に向かいます。

信仰の中心・君南風殿内。葬儀の際はこの前を迂回して通る

ここで人々を出迎えるのが、君南風(チンベー)と呼ばれる、
久米島のノロのトップに君臨する、ウマチーの中心となる神職です。

今なお沖縄県内には、複数名のノロが存在しますが、
三十三君(※1)の中で琉球王国時代の流れを継いでいるのは、
唯一、久米島の君南風だけ。

その証として、ウマチーでは琉球王国から授かった勾(まが)玉を身につけます。

琉球王国より授かった勾玉。ウマチー以外は博物館で保管されている

現在の君南風は14代目。
役職に就くと、父母の葬儀以外には出ることが許されず、
他の土地に移り住むこともできなくなるのだそう。

しかしながら、この役目は“死に継ぎ”であるため、
細かなしきたりの多くはベールに隠されています。

君南風殿内で神事を行う君南風。以前は、御願の間の移動は馬に乗ったそう

殿内での御願(ウガミ)を終えた君南風は、
最後に宇江城(隔年で具志川城跡を礼拝)へと向かいます。
この「城上り(グスクヌブイ)」をもって、祭祀は終了します。

この日は、沖縄相撲をはじめとした、
収穫儀礼にちなんだ、ほかの行事も他の集落で観ることができます。

>>【前の旅】「久米島で琉球王府時代から続く文化に触れる旅」

>>【前の前の旅】「久米島で伝統文化に出会う旅」

 

[編集長のミニコラム] 久米島の「ヒヌカン」

最近は、物見遊山で「ウマチー」見物に来る観光客がいるそうですが、
神聖な儀式なので、写真を撮る際には、ぜひ地元の人の注意を聞いて。

また、君南風に声をかけることや、前を横切ること、
進路をふさぐことは御法度ですから、絶対にやめましょう。

さて、君南風殿内にはどのようなご神体が祀られているのでしょうか。
答えは「ヒヌカン」。火の神様です

今回の旅のガイド・保久村さん宅のヒヌカン

沖縄といえば御嶽(うたき)信仰(※2)というイメージが強いですが、
久米島は御嶽を大切にしながらも、信仰の中心はヒヌカンと言えます。

君南風殿内には3体のヒヌカンが祀られており、
久米島全体を守るヒヌカンと言えます。

久米島の古集落には、御嶽から一番近いところに
沖縄の言葉で「ヒヤー」と呼ばれる、集落の長(おさ)の屋敷があります。

ヒヤーの大切な役目の一つに、
その地域の「ヒヌカン」を守るという仕事があります。

ヒヌカンは火の神様ですから、一般家庭では台所に祀りますが、
ヒヤーの家だけは、床の間に祀られています。

時を経て、ヒヤーの家が取り壊された場合も、
「ヒヌカン」だけはその場所に残され、地域で守るのが通例だそうです。

現在は、地域で守られている集落のヒヌカン

※1 三十三君(さんじゅうさんくん):神職女の中でも高級神女以上を指す呼び名。
三十三は「たくさん」という意味だが、今も残っている三十三君は君南風のみである。

※2 御嶽(うたき):神を祀る聖域。聖域に入れるのは女性だけであったため、
琉球王国時代はすべて男子禁制だった。現在も一部の御嶽は男性が入ることはできない。
斎場(せーふぁー)御嶽など観光地となっている所もあるが、
多くの御嶽は地域の人々により管理されている。

 

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