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@Press 村祭りの心―銀座の画廊から茨城の村祭りを通して ギャルリさわらびがエッセーを公開

2017年08月31日

ギャルリさわらび(所在地:東京都中央区)は、2017年8月に下記のエッセーを公開しました。
古くからの祭り、かつての村祭りが、日本各地で縮小され、廃れゆく昨今、ギャルリさわらびは、日本文化の昇華としての祭りの再生を願っています。国や地域の歴史や伝統の受け継ぎの中でこそ、新しい芸術は生まれ、新しい時代は訪れるでしょう。

画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/136453/LL_img_136453_1.jpg
三村祇園1


■村祭りの音 ―三村祇園・石岡・常陸―
平成29年7月22、23日、茨城県石岡市三村(旧新治郡三村)の須賀神社祭礼祇園祭が挙行され、三村の土性骨(どしょうぼね/ど根性)とも言うべき、勇壮な祭りに感銘を受けました。

石岡市三村字城構内に鎮座し、健速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト/古事記)をご祭神とする須賀神社祇園祭は、古くは神輿の御渚下り、仮殿奉移の式を行い「三村の大祇園」と云われ近郷随一であり、各集落毎に出し物の役割があったとのことで、石岡囃子(関東の囃子の源流の一・県無形民俗文化財)にも三村流がかなり取り込まれているといいます。

集落毎の役割とは、ささら(散々楽)の吹上(字名、以下同)、みろく(弥勒)の諸士久保、ひょっとこ屋台の古道、獅子の後久保、城構内、長見寿、水内、正月平、大神楽の坂井戸、御前山、ちんちこちんの今泉など。

吹上のささらは振り方、笛、太鼓の構成で、四尺四方の幌の中でささら三体の頭を竹竿の先端に取り付け、振り方が何らかのしぐさを演じつつ行進したと云います。ささらは獅子頭に似て角があり面長で、その首は爺と若夫婦とのこと。「やみの夜に啼かぬ烏の声聞けば 生れぬさきの父ぞ恋しき」の囃言葉につれ、振り方が調子を合わせるといいます。一休和尚の禅問答でしょうか。ただ、私どもが今此処に在ること、それを繋いできたもの、そういうことを私は想うのです。「生れぬさきの」の処のみ聞こえないように歌い、「恋しき」ははっきり歌ったと云います。「秘伝」は秘するのでしょうか。
吹上の幌の幕には、「享保六年六月二十六日三村吹上」、「東海道五十三次の絵、吹上屋やすみ処」とあり、吹上のささらの歴史を物語る貴重な資料とのこと。常陸国府であった石岡にて、毎年盛大に行われる常陸国総社宮例大祭(石岡のおまつり/関東三大祭り)でのささらは、三村方が請われていましたが、今は富田町が受け継ぎ、ささらは格式を重んじ、七度半お迎えを受けてのち出向すると謂います(県無形民俗文化財)。

吹上のささらは、舞い露払いとして第一番に奉納。今泉のちんちこちんは、明治までは公然と行われましたが、大正年間に風俗取締法で禁止。直径太さ50cm、長さ1.5m程の男根を籠に編み、紙張りし彩色、根元に棕梠の毛を配し、幌の前に取り付け、「今まで田植えで、今まいった」と囃しながら幌の中で操りながら上下させ、田植え帰りの野良着姿で演じたそうです。坂井戸、御前山の大神楽は、天の岩屋戸の場面や狂言を演じ、諸士久保のみろくは三体の人形を操り、古道の屋台は筑波万博に石岡を代表して公開されたとのこと。

「無形文化財県指定の八郷町排禍ばやしは別として、石岡隣接町村の山車の囃し、きつね、ひょっとこ、おかめ等の、音律と振りなどの民芸は、常陸総社宮の祭礼が続くかぎり存続されるであろうが、みろく、ささらなどは後継者無く、今はすっかり亡びてしまった。惜しむべきことだ。これ等は、われわれの遠い祖先が、それぞれの生活環境その他に依り、創意工夫され、一面民族の心意気を発露されたものであり、更に、部落ならばその親和と慰安をも兼ね、明日への意力を養ったもので、民族学上からも尊い資料でもあるのだ。「今のうちだ」その関係者は、特に右の意を解せられ存続方につき、ご留意あらんことをお願いしたい」(今泉義文遺稿集 昭和58年)。

「伝統から切断された人間や、歴史の連続性から切断された国は、文明のそれではありえず、必ず野蛮に退行する」という言葉がありますが、各地で地域の祭りが消え、戦後の占領政策や教育等により日本文化や日本神話が遠ざけられ、唯物的、根無し草的な社会の中にあって、忘れてはいけないもの、古き良き伝統といったものを、今は取り戻すときにきているとかんがえます。茨城県が舞台で、名作とも言われる最近の朝ドラが、失われた記憶・家族・故郷を取り戻そうとするように。

須賀神社のご祭神たるスサノヲノミコトは、和歌を最初に詠んだ芸術の神であり、天変地異の神であり、また荒ぶる神、怒れる神、英雄神でもあります。須賀神社祭礼の勇壮さは、この神の荒魂に拠るのでしょうか。天照(アマテラス)大神の天の岩屋戸籠りの原因をつくったスサノヲですが、それにより常闇となった世に神々は祭を行い、それは神楽となり、能の起源ともなりました。荒ぶる魂による反転、危機を脱する力。スサノヲが退治したヤマタノヲロチの尾から出現した剣は、アマテラスに奉じられ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に伝わります。ヤマトタケルの筑波の歌「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる (火守の翁が返して、)日日(カガ)並(ナ)べて夜には九夜(ココノヨ)日には十日を」(記紀)は、連歌の起こりとなります。
剣は歌(詩・芸術)と共に在り続けます。万葉集で最も多く詠まれた山であり、連歌の起源の山でもある筑波山を、芭蕉は「鹿島詣」に、「和歌なくば有べからず、句なくば過べからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし」(筑波山を眺めながら、和歌を詠まないことはあってはならない、また、句を詠まずに通り過ぎてはならない。まことに愛すべき山の姿である)と記しています。

「生れぬさきの」御祖(みおや)が永きに渡り守ってきたもの、それを今に受け継ぐ私共が、今という時代の受け継ぎのかたちをかんがえながら、次代に繋いでいくもの・・。変わりゆくものと、変わらないもの・・。

ご祭礼最終日の夜になると、神社に戻ろうとする神輿を上から何度も押し返し、何度も戻りつ、迫力ある掛け合いが、蝉の鳴き声と共に響きます。そして一気に神社に入った神輿を拝殿前で渦を作るように回しながら何度も揉む。境内の大欅がそれを包み込み、いにしえと今とを突き抜ける矢を放つように、天地が一つになる。須賀神社という小さな村社かも知れませんが、大きな祭りとはまた違った独特の一体感、結びがあることに、あらためて気付かされました。

この祭りを今に伝えてくれたことを、とても有難くおもいます。筑波山塊と霞ヶ浦に挟まれた古道東海道終点の地、東日本で唯一残る常陸風土記の神話の里、石岡、常陸国の知られざる魅力の一つです。常陸は日本三霊水の地であり、日本武尊が水の清らかさを賞賛し、古くから酒造りが盛んですが、須賀神社には感謝の誠を捧げると共に、地元の御酒を奉納しました。祭りを守ってこられた地元の方々や、先人たちに敬意を表して。

拝殿前の鳥居を神輿が一気に通り抜けようとする時、これを間近で見ていた私は、何かに背中を押されるようにして、人だかりの中、神輿のほうに倒れ込んでしまいました。一瞬、何が起きたのか分かりませんでしたが、ふと見るとすぐ後ろには、先の大戦での武運長久を祈る石碑が立っていました・・。須賀神社にも祀られている鹿島の神は、万葉の防人たちが祈った神でもあります。この地は防人たちの故郷です。三村は上郷と下郷にそれぞれ村社があり、上郷が須賀神社、下郷には鹿島神社があります。上郷の主祭神はスサノヲノミコト、下郷は武御雷大神(タケミカヅチノオオカミ、武道の神・相撲の起源の神でもある)、出雲の神と天孫の神、日本の長い歴史の受け継ぎを象徴する神が、此処には鎮まっています。
先人たちのみたまが、私の背中を押したのでしょうか。いにしえから続く祭囃子の音と共に。

村の鎮守の神様の・・、ドンドンヒャララ・・。

顕幽一如という言葉があります。見える世と見えない世は一つであり、日々の暮らしの中でそのことはあらわれていますが、祭りはそれをより実感させてくれるようです。そのことが今日、この時を生きる私共の心の杖となり、また、鏡ともなるのでしょう。常陸国総社宮例大祭(石岡のおまつり)も今から楽しみです。総社宮例大祭では土俵祭奉納相撲も行われ、茨城県出身の横綱稀勢の里関や大関高安関の存在(明治大正には角聖常陸山あり)もあって、大いに盛り上がることでしょう。

日出る東の国、常陸(日立ち)の聖(日知り)の伝えは、実は私共の足元に沢山眠っているのかも知れません。

生れぬさきの父ぞ恋しき・・・。
平成29年8月 田中壽幸


■画廊概要
昭和7年建築の旧銀座アパートメント(現 奥野ビル)は、スクラッチタイルの外壁や漆喰天井、手動式エレベーターなど、古き良き空間を今に伝えており、現在も映画やドラマ、各種撮影の舞台として度々使われている。画廊やアンティークショップなどが多数入居し、建物全体がアートビルとして認知されつつあり、建物内の“銀ブラ”を楽しむ人々がいる。
ビルの玄関を入り左奥の階段を上ってすぐのところに、ギャルリさわらびがある。名も知らなかった画家のデッサンとの出会いを機に、2003年、銀座一丁目で開廊。これまでに、櫻井陽司展、東千賀展、佐々木誠展、木村浩之展、垂直ノ存在社展等を開催。

画廊名: ギャルリさわらび
創業 : 2003年8月
廊主 : 田中壽幸
所在地: 〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル2階
URL : http://www.gsawarabi.com

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